迷子のアン

ADDかもしれなくて、すっかり迷子だけど、立ちなおっていきたい人のブログです。

はじめて

 

Habiticaを使ってみている。

とてもいい!

 

今何をするべきか知っているということ

それがいかに安心なことかを知った。

 

ちょこっと片付けをしたり、

ちょっとした準備をしたり、

洗濯物をたたんだり。

アイロンしたり。

それぞれは、大したことはなくて、私はそれらをする能力は十分持ってる。

 

でもするべき時に、やらないと、トンチンカンなことになる。

これが必要なのに、あちらをやってみたり、あれを忘れてみたり。

何かが手遅れになって、何かが間に合わないと、次にもその次にも影響して、「全然できてないよね!?」ってなってしまう。

 

やるべき事を全部把握して、大事な順に番号をつけて、やるべき時間も覚えておいて…っていうのを考える為に、本当に時間と精神を使うから、なにか物事をはじめる前に、もう手遅れ気味になってることもある。

 

というか、「何かが間に合ってなくて、何かを忘れてるんじゃないか」っていう思いを、常に、常に持っていて、

 

何も問題が起きてない状態のときが、もしあっても、やるべきことを把握できていないがために、間に合っているという状態を自覚できない。だから、いつも不安で、焦っていて、落ち込んでいた。

 

それが、Habiticaに助けてもらうと、

①これから習慣にしたいこと

②絶対やらなきゃいけない日課

③一度で終わるタスク

に分けてくれるから、今やるべきことを考えやすくて、安心できる。

 

とくに②が助かる…

リストを作ってみたら、26個ほどだった。朝・昼・夜のマークをつけて、大体時系列に並べている。1日過ごすなかで少しずつクリアしていって、眠る前、全部クリアできたときの、安心感とうれしさって、本当にはじめてのことだった。

 

以前は、できてるかどうかもわからなかったから、「今日は色々こなしたな!」という日があっても、何か忘れている可能性があったし、安心して自分を褒めることができなかった。

 

ああ、ありがとうHabiticaとその開発者さん。

 

お風呂から上がったら、あといくつかのタスクをクリアして、安心して、眠れる。

 

今日はよくできました!

明日もがんばろう。

 

 

つらつら、つらら

 

低迷期

 

今、低迷期だなぁっていう時って、普通の人にもあるのかな。私は寒くなるとよく低迷する気がする。冷たい海の底に沈んでいくような気持ち。大人になるにつれて、どんどん、頻度が増えてる気がする。

 

子供時代〜大学卒業くらいまでは、adhdという単語も知らずに、自分について悩むこともあまりなかった。わりといつも楽しく過ごしていて、いつもニコニコしてるねって言われて自分は明るい性格だと思ってた。周りから「マイペースだよね」って言われても、勝手に「大らかだね」と解釈してのん気にしていた。

 

まあ、失敗はよくあるけど、誰かの命に関わる失敗はしてないし、なぜか私は、「両親は、怒ることもあるけど、私が失敗するエピソードをほほえましく喜んでいる」と思っていた。

 

両親は、とくに母は、私の失敗をすごく怒るときもあるが、特に失敗の規模が小さいときなどは、可愛らしいという様子で、笑うときも多くあった。(それも私の勝手な解釈だったのかもしれないけど。)

 

なので、「うっかり」を直そうと悩むどころか、うっかりさんはチャームポイント、とさえ思っていた。恐ろしい勘違い……。タイムマシンに乗って、昔の自分に、うっかりなのはなかなか直らないけど、努力や工夫も必要だよって教えてあげたい。

 

そういう価値観の癖は、今ではずれていると気付いたけど、頭では解っていても、なかなか直すのが難しい。(例えが難しいけど、他人が、私の方向音痴を知って、それをほほえましいと気に入ってくれると、無意識に思っていたり。多分その考えはおかしいから、はっと気を付いたら、正そうと意識してる…)

 

母は、外では愛想よくしているけど、家庭では口が悪いタイプで、家族が失敗をする時や彼女の価値観と違う行動をとっている時などは、父にも兄にも私にも、自尊心をえぐるような言葉を平気でぶつけてくる。いくらこちらが悪いからといっても、言い方ってものがある!ってくらい罵られる。父は無口なので見ていて気の毒だった。(わりと今も)

 

若い頃の私は、母はおかしい人なのだと、罵られても大して気にしていなかった。怒鳴ることなどしょっちゅうだったので、右耳から左耳へスルリだった。なので、母の注意が正論であったとしても、残念なことに参考にしていなかった。

 

考えてみると、昔は自分を明るい性格だと思っていたけどその頃から、おかしかったのかもなぁ。怒鳴られたあとでも、何もなかったように部屋へ戻って、鼻唄を歌いながら別の作業をはじめる人って、どこかおかしくなってる気がする。

 

そんな様子で、大学卒業までは、周りの友達に助けてもらったり、先生に助けてもらったりして、ヘラヘラと暮らしてた。

 

それで大人になってから自分のダメダメさをやっと自覚して、落ち込んだりしますという話。特に、失敗したとき、幼少から母に掛けられていた言葉が一気によみがえり、今、現実に言われた訳でもないのにシクシク泣いたりするのが厄介。ネガティヴさがすごい。頭の中で、自分の中の母と、中の自分が勝手に論争をはじめてることとかあって自分で引く…。

 

そして昨日、ネットサーフィンをしていたら、逃避生人格障害という言葉に出合った。ふぅん、そういうのがあるんだと思って読んでいたら、診断基準が1以外、全部当てはまっていて、衝撃だった。普通の人はこういう思考を持っていないの…?

 

私はadhdで自己肯定感も低いけど、心はまだ大丈夫と思っていた。(心と頭の働きが医学的に別カテゴリなのかどうか、知らないのだけど。) なので、人格障害という響きに大変ショックを受けている。

 

まだadhdについても対策をはじめたばかりなので、ちょっと無理、ということで、そうなんだ、とだけ覚えておいて、とりあえず保留にしておこうと思います。

 

 

Habitica

 

今日Habiticaというアプリを知って、始めました。今までのどのアプリより、タスク管理がしやすそう。もしお金持ちだったら、誰かにやってほしいな、と思っていた、やる事の優先順位を付けてスケジュールを立てるという作業が、何とか自分でもできそう!すばらしいアプリ!

 

ところが、セットアップというか、習慣・日課・todoを入れて、タグやら期間設定やらをしていく作業に没頭していたら、現実でのタスクを忘れていてさっそく失敗した。本末転倒!でも最初だけだよね、と、気を取直して使ってみます。

 

 

やりたいこと

 

やりたいなー、やりたいなーと言って、なかなかやらないことがたくさんある。

何も言わなくても、すぐやることもたくさんある。

 

すぐやることは、やりたいことで間違いなさそうだけど、やりたいと言いつつやらないことは、本当は、わたしってそれをやりたい訳ではないのかな、そう思い込んでいるだけとか。そんなことをお風呂で考えていた。

 

そういうタイプのやりたいことって、わたしの場合はだいたい、「これをやったら、素敵だな。」とか「こんなことできたら、わたし素敵になれるかな」とか、そのこと自体をやりたいという純粋な欲求というより、その先に理想の自分みたいなものを思い描きつつ、それを実現したいという思いとセットのものなのかも。という考えに至った。だから「プリン食べたいなー」とかいう欲求とは、きっと別にして考えないといけないんだ。

 

そこで、これからは

  1. 単にやりたいこと
  2. 素敵な自分になるために、やりたいこと

と分けて考えることにしようと思います。誰に宣言しているのでしょう。

 

というかこんなこと、みんな大人になるまでに、とっくに気がついて生きているんだろうか。だから子供っぽいとか言われちゃうのかな。でも今ひとつそういうことを考えたというのはわたしにとってきっと前進なのだ。

 

 

イメージごとに項目を分けるのもいいかもしれない。そんなマメなことを続けられる気はひとつもしないけど、今はすごく良い考えのように思える。

 

 

素敵な人と、わたし

職場にいる、素敵な人の、素敵だと思うところ。

どうしたら、あんなふうになれるんだろう。

方法は分からないし、わかっても同じようにはなれないだろうけど、いろんな問題を解決した一番先にわたしが夢見る人間像なので、メモしておこうと思います。

 

  • お話が上手。彼女の話す言葉は理路整然としていて、すっと頭に入ってくる。
  • 話題も豊富。いろんなことに興味を持っていて、引き出しが多い。頭の回転が早くて、記憶していることを引っ張り出してくるスピードが、とても早そう。多分わたしの10倍くらい。
  • 賢さを伴う、なんとも言えない優しさ。とても賢い人は、自分のことに一生懸命頭を使っても、まだ頭の容量に余裕があって、それを他人のために費やせるから、優しいのかな。いつも自分のことでいっぱいのわたしは、憧れるのです。

 

お話がわかりやすいのも、優しいからなのかな。

いろんなもの、人に対しての眼差しも優しい。

 

そっか、わたしは賢くて優しい人になりたい。

目標は高く、そんな感じにしよう。