迷子のアン

ADDかもしれなくて、すっかり迷子だけど、立ちなおっていきたい人のブログです。

つらつら、つらら

 

低迷期

 

今、低迷期だなぁっていう時って、普通の人にもあるのかな。私は寒くなるとよく低迷する気がする。冷たい海の底に沈んでいくような気持ち。大人になるにつれて、どんどん、頻度が増えてる気がする。

 

子供時代〜大学卒業くらいまでは、adhdという単語も知らずに、自分について悩むこともあまりなかった。わりといつも楽しく過ごしていて、いつもニコニコしてるねって言われて自分は明るい性格だと思ってた。周りから「マイペースだよね」って言われても、勝手に「大らかだね」と解釈してのん気にしていた。

 

まあ、失敗はよくあるけど、誰かの命に関わる失敗はしてないし、なぜか私は、「両親は、怒ることもあるけど、私が失敗するエピソードをほほえましく喜んでいる」と思っていた。

 

両親は、とくに母は、私の失敗をすごく怒るときもあるが、特に失敗の規模が小さいときなどは、可愛らしいという様子で、笑うときも多くあった。(それも私の勝手な解釈だったのかもしれないけど。)

 

なので、「うっかり」を直そうと悩むどころか、うっかりさんはチャームポイント、とさえ思っていた。恐ろしい勘違い……。タイムマシンに乗って、昔の自分に、うっかりなのはなかなか直らないけど、努力や工夫も必要だよって教えてあげたい。

 

そういう価値観の癖は、今ではずれていると気付いたけど、頭では解っていても、なかなか直すのが難しい。(例えが難しいけど、他人が、私の方向音痴を知って、それをほほえましいと気に入ってくれると、無意識に思っていたり。多分その考えはおかしいから、はっと気を付いたら、正そうと意識してる…)

 

母は、外では愛想よくしているけど、家庭では口が悪いタイプで、家族が失敗をする時や彼女の価値観と違う行動をとっている時などは、父にも兄にも私にも、自尊心をえぐるような言葉を平気でぶつけてくる。いくらこちらが悪いからといっても、言い方ってものがある!ってくらい罵られる。父は無口なので見ていて気の毒だった。(わりと今も)

 

若い頃の私は、母はおかしい人なのだと、罵られても大して気にしていなかった。怒鳴ることなどしょっちゅうだったので、右耳から左耳へスルリだった。なので、母の注意が正論であったとしても、残念なことに参考にしていなかった。

 

考えてみると、昔は自分を明るい性格だと思っていたけどその頃から、おかしかったのかもなぁ。怒鳴られたあとでも、何もなかったように部屋へ戻って、鼻唄を歌いながら別の作業をはじめる人って、どこかおかしくなってる気がする。

 

そんな様子で、大学卒業までは、周りの友達に助けてもらったり、先生に助けてもらったりして、ヘラヘラと暮らしてた。

 

それで大人になってから自分のダメダメさをやっと自覚して、落ち込んだりしますという話。特に、失敗したとき、幼少から母に掛けられていた言葉が一気によみがえり、今、現実に言われた訳でもないのにシクシク泣いたりするのが厄介。ネガティヴさがすごい。頭の中で、自分の中の母と、中の自分が勝手に論争をはじめてることとかあって自分で引く…。

 

そして昨日、ネットサーフィンをしていたら、逃避生人格障害という言葉に出合った。ふぅん、そういうのがあるんだと思って読んでいたら、診断基準が1以外、全部当てはまっていて、衝撃だった。普通の人はこういう思考を持っていないの…?

 

私はadhdで自己肯定感も低いけど、心はまだ大丈夫と思っていた。(心と頭の働きが医学的に別カテゴリなのかどうか、知らないのだけど。) なので、人格障害という響きに大変ショックを受けている。

 

まだadhdについても対策をはじめたばかりなので、ちょっと無理、ということで、そうなんだ、とだけ覚えておいて、とりあえず保留にしておこうと思います。

 

 

Habitica

 

今日Habiticaというアプリを知って、始めました。今までのどのアプリより、タスク管理がしやすそう。もしお金持ちだったら、誰かにやってほしいな、と思っていた、やる事の優先順位を付けてスケジュールを立てるという作業が、何とか自分でもできそう!すばらしいアプリ!

 

ところが、セットアップというか、習慣・日課・todoを入れて、タグやら期間設定やらをしていく作業に没頭していたら、現実でのタスクを忘れていてさっそく失敗した。本末転倒!でも最初だけだよね、と、気を取直して使ってみます。